無名居士の 男70代は死に時 死に支度







気の向くままのいいかげんな内容 誤字脱字御免

今日の散歩から~拾い物(気になる画像集)

散歩のときにスマホで気になるものを撮っている
意識的に撮っているのは「隙間と小路の画像集」というnoteを
毎日アップしているので当然隙間と小路
でも隙間といっても家の数ほどあるし
家と家の間だけでなく無数にどこにでもあると言える
今は家と家の隙間にこだわっているが
そのうち他の隙間に興味が移るかもしれない
家と家の隙間を皆撮っているわけではない
撮れるはずもない そこにはどんな私の意識が働いているのだろうか
そんなことゆっくり考えたことはないけど
撮る撮らないの選択はしているわけで
その選択の基準は何だろう
理屈では説明できない問題だが
言えることは「気になる」ということだろうか
これは理屈で説明しようとすれば出来なことはないかもしれないが
そんなこと私には難しいことで
何故なら私は感覚人間 自分の感性だけが頼りと思っているからで
私の感性が取捨選択していることになる
気になり撮りためt画像がたくさんあった
それをまとめてアップしようと思う
何回で終わだろうか 案外1~2回で終わるかもしれないが
サブタイトルをどうしようかと少し考えた
お気に入りでもないし 忘れ物にしようかとも思った
そんなに悩むことでもないと思うが「拾い物」にしてみた
この言葉の中には「思いがけず」という意味が含まれるかもしれない
値打ちが無いと思っていたら案外値打ちがあった時など
拾い物をしたということがある
儲かったという意味もあるだろう
まあそんなところで「拾い物」にしてみた
私が気になった画像の数々 そうか・・・子供のおもちゃ箱か
それか宝の箱 好きなもの 大事なものを入れておく箱
おもちゃ箱であり宝の箱であり
それは子供にとってはそうであっても
大人から見ればガラクタにしか見えないものもあるだろう
おもしろいなあ



子どもにとっての宝箱は
大人にはがらくたにしか過ぎないかもしれない
大人にとっての宝箱は
こどもにとってもやはり
がらくたにしか過ぎないのだろうか
いや 子どもにとっての宝箱は
その子が大人になっても
やはり宝箱だろう
宝箱は大人子ともに関係なく
その人にとって宝箱であり
それは大人になってもやはり
宝箱であってほしい
つまらなく見えるものでも
その当時その子にとっては宝物だった
そんな宝物をいっぱい持っている子だったろうか私は
いや そんな子どもではなかった気がする
きっと今 その宝物を集めているのだろう
子どものころ出来なかったことを
追体験しているのではないだろうか
最近そんな気がしてきた
子ども返りとは意味が違うかもしれないが
今私はほとんど世間と交渉が無い
テレビは押し入れの中
Twitterはnoteの告知だけ
PCはしているのにネットニュースも観ない
ネットは一人遊びの場と思ってきた
PCで何かしているだけで十分だった
思いつくまま気の向くままにしたいことをしてきた
そして集めた画像の数々
撮った時には何かを感じたのだろう
今それらの画像を見て 過去の自分の関心のあり処を見つめている
おもしろい作業になった
こんな機会を持ったのもMuragonブログを始めたのがきっかけ
これを始めたのも偶然 
いまMuragonを楽しんでいる

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