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勝鬘経を読む - 続 壺 齋 閑 話〜私には難しいブログの記事にコメントする試み


そもそもの初めから読めない『勝鬘経』
となるとウィキペディアが頼りの私
冒頭部分を引用するも訳が分からず

『勝鬘経』(しょうまんぎょう、梵: Śrīmālādevī-siṃhanāda-sūtra, シュリーマーラーデーヴィー・シンハナーダ・スートラ)、正式名称『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』(しょうまんししくいちじょうだいほうべんほうこうきょう)は、仏教における中期大乗仏教経典のひとつ。サンスクリット原典は失われ、チベット語訳と、求那跋陀羅訳・菩提流支訳の2種の漢訳経典が残っている(広く用いられるのは求那跋陀羅訳)[1]。大正新脩大蔵経では「宝積部」に収録されている(大正蔵353)。

ここにある「正式名称『勝鬘師子吼一乗大方便方広経』(しょうまんししくいちじょうだいほうべんほうこうきょう)」・・・『師子吼』とは
「すなわち獅子が吼えるような雄弁をふるうこと」
ウィキでは…
総じて「勝鬘夫人が雄弁をふるう経」の意。
と説明されている
その中身についてブログ記事は詳しく書いてある
特に「三大願」には真理や真実と言う言葉が出て来る
さらに続く章に記されているのは
「接受正法」とは「真実の教えをしっかりと身につける」ことである。
つまり「真実」が大きな意味を持っている
私は無宗教で興味は無いが
一番大切にしなければいけないものは「真実」だと思っている
それを意識したのは小学卒業アルバムの寄せ書き
ずいぶん昔の事で薄っぺらいつくりだった
寄せ書きの真ん中に担任の先生の言葉があった
「真実を大切にしよう」
その意味の深さを考えるようになったのは後のことだが…
以来真実とは何かを自問自答してきた…当然今も


『勝鬘経』に於いて目玉は「十大受」と「三大願」
「十大受」・・・十の誓いには仏教に帰依する者が
守らなければならない事が書かれている
信仰のあるなしにかかわらず人としてのあり方にも通じる
そこには普遍の真実があると思う
「十大受」に続く「三大願」は世尊釈迦の教えの真実を学ぶ誓い
教えの真実を理解し人に説き身命を賭して真実を身につける…と言うもの
釈迦の教えに真実を見出す
それは仏教に帰依し信仰した者には当然だろうし
そこに信者の真実はある
私が考えたいのは宗教を含む人間社会全体の真実
政治や経済や文化活動等などの社会全体のそれぞれの分野における真実とは
相容れぬ思想や考えが錯綜し存在している
人間が到達すべき未来をあるべき社会の真実とするなら
果たしてどんな社会か
現実をどう捉え分析するか
複雑に人は利害関係に縛られている
様々に人は真実を叫ぶ
真実は何処に何れにあるのか


「真実を大切にしよう」
大切にすべき真実とは…

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