無名居士の 男70代は死に時 死に支度







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昭和の歌謡曲・5・二葉あき子の《歌唱力》 - 梨野礫・著作集〜気になるブログの気になる記事にコメントする試み


私には二人の姉がいる
すぐ上の姉は三つ上でその姉の三つ上が長女になる
梨野礫氏はすぐ上の姉と同じ年になるようだ
私は戦後2年経って生まれた
両親と二人の姉は朝鮮は平壌からの引揚者で
父の母方の郷里に身を寄せた
島原半島の東端…鉄道の駅で言うなら
神代で私は生まれ育った
と言っても3〜4歳の頃までで
父が長崎市内で落ち着いたのを見計らって神代を離れたようだ
その辺の事情は小さかった私には全く記憶に無い
梨野礫氏のこの記事には静岡から東京に向かわれた事情と出来事が
二葉あき子の歌の記憶と相まって感動的な記事になっていた
二葉あき子の歌は子供だった私の耳にも自然と入って来て
覚える事なく歌える様になっていた
昔はそれだけ歌がよく流れていた
私の家は貧乏だったので上の姉が中卒で働いて
月給から月賦でテレビを買ってくれた
私がプロレスを観たいとせがんだからだと思う
力道山と噛みつき魔のブラッシーとの血まみれの試合をやっていた頃
漫才師のコロンビアトップ・ライトの司会で懐メロ番組をやっていたと思う
司会の名口調も自然と覚えた
「老いたる者には過ぎにし青春の郷愁を
若き者には呼べど帰らざるいにしえの思い出を…」
うろ覚えのまま書いてみたが
確認したらかなり違っていた
「老いたる者には過ぎにし青春の郷愁を、
若人には呼べど逝にて再び帰り来たらぬ古の幻を



コロンビア・トップ なつかしの歌声


例によって話が脱線したので本筋に戻すと
二葉あき子の歌についての分析が興味深い
私などはそんなに深く考えたことが無かったので
ピシャリと一喝された気がした
記事に書かれていた曲を聴いてみた


「夜のプラットホーム」(作詞:奥野椰子夫、作曲:服部良一 1947年2月発売)

二葉あき子 - 夜のプラットホーム (1947)


「古き花園」(サトウハチロー作詩・早乙女光作曲・昭和14年)

古き花園(二葉あき子)昭和14年


「お島千太郎旅唄」(西条八十作詩・奥山貞吉作曲・昭和15年)

お島千太郎旅唄 伊藤、二葉


「めんこい仔馬」(サトウハチロー作詩・仁木他喜雄作曲・昭和15年)

めんこい仔馬  二葉あきこ 高橋祐子 [高峰秀子]


「フランチェスカの鐘」(菊田一夫作詩・古関裕而作曲・昭和23年)

フランチェスカの鐘(二葉あき子)


「水色のワルツ」(藤浦洸作詩・高木東六作曲・昭和25年)

二葉あき子 - 水色のワルツ (1950)

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