無名居士の 男70代は死に時 死に支度







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過去と現在:アンリ・ルソーの世界 - 続 壺 齋 閑 話〜むずかしいブログ記事に出来るだけコメントする試み


ルソーの絵が記事に度々出て来る
絵に限らず芸術全般について何の知識も無い私が
それにコメントするのは不遜な事だと分かっている
でもむずかしいブログ記事にあえてコメントする試みがこれを書く目的
なので記事自体へのコメントになっていない事が多くなるが
それはある意味逃げの手だと思って許して欲しい
弁解がましいこと・・・「弁解がまじい」と何度も出たので調べてみる
これも逃げの手のひとつで検索で字数を稼ぎ記事らしく粉飾?する手

似ている、~のようだといった意味をもつ「がましい」と言い訳が組み合わさり、言い訳じみたことを言っているさまを意味する語。

https://www.weblio.jp › content › 言...

言い訳がましい - Weblio辞書


「弁解がまじい」と入力しても修正されて上記の結果になぜ「がまじい」と出たのか気になるるが先を急ごう(字数は稼げたし…)
芸術について何の知識も無いと書いたが知識全体について見識が無いのが正直なところ
いわゆる無知に近い・・・また無分別でもある
また横道に逸れたくなったがこれも逃げの手の一つ
京都に住んでからの事だが日曜日は映画を観ることがほとんどだった
四条河原町に出て高島屋を少し下がった所に喫茶店がある
母娘で営んでいたがその風景?が好きでいつも野菜ジュースを私は注文した
その店の地下が洋画の映画館だった
ポスターを見て気になる映画だったら観ようという算段
観なくても喫茶店の母娘の仕事振りを鑑賞できるし
その後で別の映画館へ行けばいい
やっと話は無分別の事になるが喫茶店の地下の映画館のポスターが
「無分別」と言う邦題の映画だった
タイトルは気になって今でも覚えているのだが
気になったのは無分別と言う言葉の響きと意味で映画は観ていない
その後映画の事が気になって調べたのは覚えているのだが内容はすっかり忘れた
この機会に又調べてみよう
何か思い出すかもしれない

『無分別』(むふんべつ、Indiscreet)は、1958年のイギリスのロマンティック・コメディ映画。製作・監督はスタンリー・ドーネン、出演はケーリー・グラントとイングリッド・バーグマンなど。1953年に舞台初演されたノーマン・クラスナーの戯曲『Kind Sir』を原作としている。(ウィキ)


INDISCRET (INDISCREET) de Stanley Donen - Official trailer - 1958


これはいけない・・・イングリッド・バーグマンが出ていたとは…
彼女の自伝を読んでから出演作品を全部追ったつもりだったが
この映画の事はまったく覚えていない
このことを考えると眠れなくなりそうなので先を急ぐことにする


いよいよ本題のルソーの事を書きたいけど・・・夜が明けたし疲れてしまったので

−小休止−


小休止のつもりが
8時に一度目が覚めたのに二度寝
起きたのは9時半だった
いつもの日課を済ませてここに来たのが10時半
とりあえずこの記事を書き終えて次の日課をこなさなきゃ…


でルソーの話に戻らなきゃ終わらない
と言ってルソーの話になるかは分からない
続壺齋閑話を知って数点のルソーの絵を知った
初め政治学者思想家のルソーを思い浮かべたくらい画家のルソーの事は知らなかった
分かりやすい絵だなと思った
極端に省略化されてデザイン化された単純な作品…に見える
言ってみれば私が知っている様な絵らしく無い絵
ゴッホやゴーギャンの絵的にも見えるが筆致が又違う
「過去と現在(Le Passé et le présent, ou Pensée philosophique)」と題された絵の
上部の雲に過去の夫妻の絵を配置するなど
その発想は私から見れば漫画的なもの
芸術作品からはほど遠いと思われる
しかし…それは芸術を高邁な存在とした場合の解釈
芸術は一般大衆にこそ分かり易いものだとした場合
画法が単純化され漫画的表現と言って良いルソーの絵は
むしろ理解しやすい作品として支持されるだろうが
逆に芸術を冒涜する者としての批判を免れないだろう
それでは芸術とは美とは?と言う議論になるが
私はややこしい難しいことは苦手なので
ルソーの絵から連想した言葉について書いてみます


ヘタウマ・・・という言葉
絵にこの言葉を使うか知りませんが
漫画やイラストではよく使われていると思う
私がこの言葉を意識したのは「アサー」「鼻血ブー」のギャグマンガで
一世を風靡した谷岡ヤスジだったかと思う
私の頭は固い方なのでギャグもタッチもむしろ嫌いな方だったが
彼のギャグマンガが人気だったのは間違いない
私が子供の頃好きで良く見ていたのは寺田ヒロオや手塚治虫や横山光輝
高校生になった頃は白土三平・・・といった面々
ギャグマンガやヘタウマと称されれ作品は縁がなかった
でも同年代の蛭子能収のマンガには共感した
それ以前にいいなあと思った人が居たがどうしても思い出せない
と言う事でヘタウマを検索したらウィキに意外にもルソーの記述があった
その部分を引用すると

アンリ・ルソー『ムッシュX

の肖像(フランス語版)』/

モデルはピエール・ロティ。

1891-1910年間の作

 

また、この企画展はアンリ・ルソーを「西洋絵画における、ヘタウマの元祖」に位置づけている[12](■右の画像参照)。正規の美術教育も先達の指導も受けなかったルソーの作風は、技術の拙さと卓越した芸術的センスが奇妙な化学反応を起こしたような独特の魅力があり、ほとんど全ての人々から「絵具箱をもらった6歳児が筆の代わりに指で描いたような絵だ」などと嘲笑されながら、ポール・ゴーギャンを始めとする同時代の先進的画家をして「どうにも素人に過ぎる絵だが、我々には描けない何かがある」「絵の将来像がここにある。これこそが絵である」などといった旨の高い評価を得てもいる[14]。


ウィキのヘタウマの記事でルソーに出会えて嬉しかったが
画壇で一部からしか評価されず主流になり得なかったルソーに
その画風の好みは別として共感を覚える


ルソーの絵を再三取り上げて記事を書かれている壺齋散人の意図が
那辺にあるやと想像したくなる
そして願わくばルソーの境遇への共感にあればと…


追記
ヘタウマのマンガ・イラストの妙味を開眼してくれた漫画家の名を
思い出すないのが悔しくてならない
曖昧な記憶だが柳橋とか花街とか
情緒ある世界を飄々とした画風で描いていたと思う
早世の漫画家だった
テレビでもよく目にしていたと思う
一見朴とつで山下清みたいな風貌と例えると叱られるかな…
これも曖昧な記憶だから間違いだらけかもしれない
書きながら思い出せないかと願ったがだめだった

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