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日本人のパンパン・コンプレックス(その五) - 続 壺 齋 閑 話〜ブログ記事に出来るだけコメントする試み


はて?パンパン・コンプレックスとは何ぞや?
一応記事に目を通したが
その前にパンパン・コンプレックスとは?と言う疑問が湧いた
心理学的な難しい話なのかなと思ったが
訳も分からずとにかく内容を読むには読んだ
そしてあらためてタイトルのパンパン・コンプレックスの文字を見ると
パイパンと読み違えていたのに気が付いた
いつもの早とちり早合点の失敗だ
パイパンなら知ってるじゃないかと思ったのは一瞬
パンパンの間違いに気付いた
いやいや…パイパンをパンパンの意味に思い違いしているのに
気づいたと思ったらやはりよく見るとパンパンだったと言う
何だか自分でもややこしい話になってるてと書きながら思った
パンパンなら戦後よく使われた言葉ではないか
わたし的にはあまり使いたく無い言葉
ではこの記事ではどんな意味で使われているのか
その五…となっているので最初の記事を見る必要がありそう
と言う事で飛んでみた



日付は…(2021年11月24日 17:08)となっていた
一ヶ月前じゃないか・・・とにかく記事の更新頻度が早い
もっと前の記事だと思った
さてそんな事はどうでも良くて内容だが…
その前に一応ネット検索しておこう
面白いことにまったく出て来ませんでした
記事元の続壺齋閑話も引っかかりません
それがわたし的には面白く思えた現象
検索では何がしかの結果を得られるもので
いつも感謝し感心しているのですが
どうやら壺齋散人氏の造語と言う事になりますか
それならそれで面白いことです
とりあえずパンパンだけでも念の為に検索しておきます

パンパン(英: pom-pom, pom-pom girl[1])とは、戦後混乱期の日本で、主として在日米軍将兵を相手にした街娼である[2]。戦争で家族や財産を失って困窮し、売春に従事することを余儀なくされた女性が多かった[3]。彼女たちの7割は外国人専門の「洋パン」だった[4]。


別名「パン助」[5]、「パンパンガール」・「夜の女」[4]、「闇の女」[6]とも呼ばれた。「闇の女」は同時期に日本人相手の街娼を指して用いられた言葉だったが、やがてその区別はなくなった[7]。

(ウィキより)


さて肝心の(その一)に当たる記事を読むと中段にこんな記述があった

敗戦ショックのもたらした日本人への影響を小生は「パンパン・コンプレックス」と呼ぶことにする。

まず疑問の一つが解けた
やはり壺齋散人氏の造語〜ネーミングだった
味な事・粋な事をなさるお人だと一つ理解が深まった
では何故そう名付けたか
何をして何の為に・・・と言う次なる疑問
ちゃんと記事に書いてあった

戦後の日本人は、自己の人格の尊厳よりは、富の増大のほうに価値を見出した。富が増大すれば、それにともなって自己も拡大し、その拡大した自己の感情が自尊心と勘違いされたのだ。日本人はエコノミック・アニマルであり、人間としての尊厳とは無縁な醜い生きものだとよくいわれるが、それは戦後の日本人の生き方が、世界の常識と合致しなかったことを、象徴的にあらわしている。


なぜ、そうなってしまったのか。敗戦のショックが大きく影響していることは間違いない。


「なぜ、そうなってしまったのか。」・・・それを考え説明する為に
「パンパン・コンプレックス」と名付けた概念で論をすすめる為に書いた記事で
「作業仮説にもとづいた思考実験のようなものなのである。」と
読み手に注意を促している・・・「大袈裟に受け取らないでいただきたい。」と…


私は戦後2年目に九州の片田舎で生まれた
この記事の作者は私より一つ年下の同世代
敗戦後の日本の様相について想像が及ばないが
その変わり様を「パンパン・コンプレックス」と名付け
その概念で説明するのには抵抗がある
一つ思うことは確かに平和憲法を国民は手にしたが
いわゆる民主主義は自らの手で勝ち得ていない
制度建前として与えられたものであり
国民の意識としての認識度はその後の教育に頼らざるを得ないが
冷戦反共レッドパージそして政治の反動化が進められ
厳然たる戦前の支配勢力が温存維持されたまま
最大の課題であった天皇制も残され
その後のマスコミの最大限の持ち上げ宣伝によって
またぞろ不敬罪に問われかねない風潮にまでなっている
先の総選挙で改憲勢力は発議に必要な議席を確保
憲法審議会も動き出した
自民党の改憲案で家庭が個よりも重要視されているらしい
それが案外この記事の考察に参考になる部分がありそう
(その五)の記事の最後の下り

徳川時代においても、女が男に全面的に屈服していたわけではない。女が男に完全に屈服する体制が作られたのは、明治以降のことである。明治政府は日本の近代化のためだといって、さまざまな政策を推進したが、その一つとして、男性支配の確立ということがあった。日本に限らず、いわゆる先進諸国は、いずこも男性原理によって動いている。それにはいろいろなわけがあると思われるが、やはり男性原理が近代国家をまとめるために有利な働きをするからであろう。




最初の記事では敗戦後の様相が書かれている
私が思い浮かべたのは田中絹代が主演した溝口健二監督作品「夜の女たち」(1948)

もう一つ思い浮かんだのは大江健三郎の『水死』講談社、2009年(のち講談社文庫)
『水死』(大江 健三郎):講談社文庫|講談社BOOK倶楽部


何故かと言う深い意味はなく
自分でもなぜ思い浮かんだのだろうと言う位に無意識に近いもの
私は至って感覚人間だといつも書いている
だから書く読むより早くビジュアル的思考が働くようた
思い浮かぶ事に理屈はなく自然な作用
しつこいほど言い訳書くのは
逆に理屈を書けないコンプレックス
こんなの何と言うコンプレックス?
単純に言うなら劣等感でいいのか…
何かカッコイイ名前付けたいけど
その能力無し
イヤイヤ・コンプレックスとか?
センスのカケラも無い

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