無名居士の 男70代は死に時 死に支度







気の向くままのいいかげんな内容 誤字脱字御免

「続 壺 齋 閑 話」の記事を読んで 出来るだけコメントする試み


上村松園の存在を知ったのは
宮尾登美子の小説「序の舞」だったか
正確に言えば小説を原作としたドラマか映画だった
元来の無精者怠け者なので
昔から私の情報源はテレビや映画
頭で考えなくても良いビジュアル的な物に偏っていた
今回松園の遊女亀遊の絵が取り上げられていたので
検索して彼女の作品を沢山観る事になった
扇を持った右手を差し出した立ち姿の「序の舞」の絵は
さすがに印象的でその凛々しさは
松園の意気地を投影したかのように見えるし
それにも増して小説に取り上げた宮尾登美子の
高らかな自己賛美の姿と私は勝手に想像した
ウィキから引用する

1972年、それまで劣等感を感じていた生家のことを書く決心をし、『櫂』を自費出版、1973年同作で太宰治賞を受賞し、出世作となる。1977年1月、『陽暉楼』で第76回直木賞候補。同年、『寒椿』で第16回女流文学賞受賞。1979年1月、『一絃の琴』で第80回直木賞を受賞、53歳であった。1983年、『序の舞』で第17回吉川英治文学賞受賞[2]。

テレビドラマ化された『櫂』を私は観た
櫂を漕ぐ伊藤孝雄の滑舌の良さだけが印象深かった
念の為に確認すると若尾文子が出ていたが
その記憶は全くない
これ以降宮尾の作品は映画やテレビの原作として
ヒットメーカーとなり全盛を極めた事だろう
『序の舞』はまさにその時期の作品
もし『櫂』を自費出版して無ければ
後の宮尾の作品を私達は目にする事が出来ただろうか
自費出版する決意と覚悟が
自らを文壇の高みに導いて行った
その気概と自信が『序の舞』を描いた松園と
松園をモデルに小説を書いた宮尾と重なる


私が知っているのは『クレオパトラ』を執筆している時期まで
亡くなった事はもしかしたら耳にしたかもしれないが
全く記憶にないほど無関心になっていた
その時期私は介護にかまける日々だったのかも
すっかり忘れていた私に宮尾と松園の絵にまみえる機会を頂いた
遊女亀遊の絵は知らなかったが
朧な記憶がある亀遊の辞世の歌
「露をだにいとふ大和の女郎花降るあめりかに袖はぬらさじ」に出会って
先日観終わった中国の時代ドラマを思い出すきっかけになった
「露をだにいとふ大和の女郎花降るあめりかに袖はぬらさじ」
忠臣蔵のようなサブタイトルが付いているが
「隋唐演義 〜集いし46人の英雄と滅びゆく帝国〜」
せっかく我が子が生まれるが
元々は反随軍の仲間だった主がその後離反して唐軍に捕まった事で
奥方は子を残して自害する
主も降伏すれば助かる道は残されているが
ニ君に仕えずと頑なに説得を拒否して打首に
今また清時代の宮廷ドラマを観ているが
ドロドロの権力争いがくり広げられるという
話は例によって逸れまくっているが
ビジュアル大好き人間は相変わらず健在
同時に3本のドラマを恥ずかしながら観ています


さて話を戻したいのですが
どこに戻そうと思っていたか忘れてしまった
そこここにボケ症状が出ています
そうそう・・・松園の絵を観る機会になったのですが
印象的な絵がありました
私が知らなかっただけでかなり有名な絵のようです
「焔」と題された絵・・幽霊を描いたものらしい

浮世絵に見返り美人の類がありますが
これはさしずめ見返り生霊か
妖しいまでに美しい


松園の記事を書かれた壺齋散人氏に
心からの敬意と感謝を
申し上げます

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