無名居士の 男70代は死に時 死に支度







気の向くままのいいかげんな内容 誤字脱字御免

asomanさんの「有楽町で逢いましょう(フランク永井)」カバーを聴いた〜涙が出るほど懐かしかったので フランク永井の歌をまとめて聴きたくなった ①


有楽町で逢いましょう(フランク永井)カバー / ドラム・ アカペラ

フランク永井_ 有楽町で逢いましょう (1957 - 78rpm)

フランク 永井(フランク ながい[注釈 1]、1932年3月18日 - 2008年10月27日)は日本のムード歌謡歌手である。本名は、永井 清人(ながい きよと)。魅惑の低音と称された独特の豊かな低音を武器に、師である作曲家の吉田正とともに都会的でジャズテイスト溢れるムード歌謡のジャンルを切り開き、数多くのヒット曲を世に送った。(ウィキペディア)

代表曲
13800円 1957年(昭和32年) - 13800円は、当時の大卒初任給の平均額

13,800円 フランク永井
東京午前三時 1957年(昭和32年)

♪ 東京午前三時 / フランク永井 (昭和57年・NHK歌謡ホールより)
夜霧の第二国道 1957年(昭和32年)

フランク永井 夜霧の第二国道
有楽町で逢いましょう 1957年(昭和32年) - 読売会館に開業した有楽町そごうのキャンペーンソング。本来は三浦洸一の吹き込み予定作だったが、作曲した吉田正の強い希望で永井に回った。

有楽町で逢いましょう / フランク永井 (昭和43年・歌まつり明治百年より)
羽田発7時50分 1958年(昭和33年)

フランク永井 羽田発7時50分
街角のギター 1958年(昭和33年)

街角のギター(フランク永井)song by eto3
西銀座駅前 1958年(昭和33年)

西銀座駅前 ☆ フランク永井 ☆ ABC XYZ
こいさんのラブ・コール 1958年(昭和33年)

フランク永井 こいさんのラブ・コール
ラブ・レター 1958年(昭和33年)

フランク永井 ラブ・レター
俺は淋しいんだ 1958年(昭和33年)

♪ 俺は淋しいんだ / フランク永井 (昭和57年・思い出のメロディーより)
夜霧に消えたチャコ 1959年(昭和34年)

HCJ594 夜霧に消えたチャコ フランク永井 (1959)1985・200918 vL HD
東京ナイト・クラブ 1959年(昭和34年) - 松尾和子とのデュエット曲。

HCJ592 東京ナイト・クラブ② フランク永井&松尾和子 (1959)1982・191129 vL HD
恋夜 1959年(昭和34年)

恋夜 ライヴver./ フランク永井
冷いキッス 1959年(昭和34年)

冷たいキッス フランク永井(大文字歌詞入り)
好き 好き 好き 1960年(昭和35年)

好き 好き 好き
大阪野郎 1960年(昭和35年)

東京カチート 1960年(昭和35年)

東京カチート    フランク永井
君恋し 1961年(昭和36年) - 元は二村定一のヒット曲(1928年(昭和3年))。

君恋し / フランク永井 (昭和47年・紅白歌合戦)より
悲しみは消えない 1962年(昭和35年)

悲しみは消えない 唄:フランク永井


以下次回に続く
初恋の詩 1962年(昭和35年)
霧子のタンゴ 1962年(昭和37年)
新東京小唄 1962年(昭和37年)
赤ちゃんは王様だ 1963年(昭和38年)
戦場の恋 1963年(昭和38年)
逢いたくて 1963年(昭和38年)
冬子という女 1964年(昭和39年)
国道18号線 1964年(昭和39年) - 松尾和子とのデュエット曲。
大阪ぐらし 1964年(昭和39年)
悲恋のワルツ 1964年(昭和39年)
恋うた(ラブ・コール) 1964年(昭和39年)
わたしゃ人生大学生 1965年(昭和40年)
妻を恋うる唄 1965年(昭和40年)
かえしておくれ 今すぐに 1965年(昭和40年) - ザ・ピーナッツ、ボニージャックス、市川染五郎(後の松本幸四郎 (9代目))との競作。吉展ちゃん誘拐殺人事件犯人への呼びかけの歌で、犯人逮捕後は封印された(後にCD化されている)。
東京しぐれ 1965年(昭和40年)
大阪ろまん 1966年(昭和41年)
船場ごころ 1967年(昭和42年)
加茂川ブルース 1968年(昭和43年)
おまえに 1977年(昭和52年) - 元は「大阪ろまん」B面曲。1972年(昭和47年)にもシングル発売。
11時過ぎから 1977年(昭和52年) - 松尾和子とのデュエット曲。
公園の手品師 1978年(昭和53年)- 永井自身によるリメイク。元は1958年(昭和33年)の作品。
WOMAN 1982年(昭和57年) - 山下達郎プロデュース作品。
六本木ワルツ 1985年(昭和60年) - 生前最後のレコーディング曲となった。









有楽町で逢いましょう フランク永井 昭和60年

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