無名居士の 男70代は死に時 死に支度







気の向くままのいいかげんな内容 誤字脱字御免

11/29 今日の比叡山と空模様

朝の比叡山


夕方の比叡山と空模様

今日の散歩から~花の画像集

過去の花の画像をまとめました
これまでの散歩で撮りためたお気に入りの画像をまとめてみる
なぜか気になる画像 それに会いたくて散歩しているかも
スマホを持っていてもほとんど使っていなかった
散歩を始めてを歩くだけでは退屈とスマホで夜の路地裏を撮って
インスタなるものにアップ ほとんど観る人もいないけど
ネットは一人遊びの場と決めていたのでそれでよかった
インスタにアップするためにスマホで撮るのが楽しくなった
何でも三日坊主で終わる飽き性の私 スマホのおかげで散歩は続いた
ところがそこらじゅう歩き回って もう歩くところが無くなった
無くはないだろうが同じところを回るのが好きではない
それで歩くのをやめてしまった
しばらくは夜散歩に出るには出るが
自転車に乗ったままでコンビニに行って白身フライ探し
100円買い物ごっこで楽しんだ
運動にもなりやしない まして揚げ物食べてはね
禁欲していた反動が来たみたいだった
しかし10年来の生活習慣病
血液検査の結果がかんばしくない 100円フライが悪いのか
とにかくまた歩かなくちゃ 股関節を自損事故で傷めているので
ゆっくりしか歩けないけど 歩かないよりましでしょ
そこで考えた 明るいときに歩けば夜歩いていた時と違う景色になる
それをスマホで撮ればいい ということで散歩再開 それも朝夕二回に
夜の散歩のときインスタとtumblrにも画像をアップしていた
今度はインスタはやめにしてtumblrだけにした PCに画像を取り込むのが楽だから
PCに接続すれば簡単なのだがそれすら私は面倒
PCに画像保存したらスマホの画像は即削除 そして即充電
そしてこのブログに画像をアップ 記事を作成
このブログを始めたおかげでトピック?画像だけの記事を二つ作った
案外記事作成に時間かかるが 慣れればもっと早く済むだろう
ともかく撮りためた画像を処理できるのが嬉しい
ということで過去の画像をまとめてみることにした
何かしら気になるので取ったもの キーワードは「気になる」というだけ
気の向くままなのだ っして意味はないと思う
ただ人とは「気になる」ものが違うかもしれない
違うとしたらそれが私の個性になるかもしれない
案外それらを眺めるのは自分探しなのかも
古希を過ぎて男70代の死に時に突入しても
自分のことなのに自分で分からないことばかり
わからないまま逝ってしまうのが人生かとも思う
それならそれでいい 自分の謎を抱えて逝くのも
分からないというのはいい訳で 分かっているのに認めたくないだけの事かも
意気地なしという言葉が自分には相応しいとも思う
優柔不断も自分らしい
そして思う 自分は自分らしくしか生きられないと
これまでの人生のどの部分を切り取っても
そこにあるのは自分自身が選んだ道
良くも悪くも自分らしさの結果が自分の生きた道
自分が好きなら 自分らしさの結果の今の自分の姿を誉めてやろう
誉めるのは自分しかいないのだから
ブログを書くのも自分のため 自己満足のため
この年になってもやることがあるだけで十分ではないか
それではこれから画像をアップしよう
0時に寝て2時間ほどで目が覚めた おやつにインスタントの焼きそば食べて
お昼にし残していた過去の画像を整理しようとこれを書き始めた
ブログや日記を書くのはもう一つ目標があるから
それは1万字日記 その日に書いたものをmixi日記にアップする
それをまとめても字数計算 書いたものと字数をnoteの記事にまとめて毎日アップ
これも日課の一つ noteにはこのほか5本ほどの記事を書いている
1万字日記の方の結果はこのところ古い日本映画を観ているせいで字数が伸びないが
1万字目標をあきらめてはいない そのうちその内と思っている
これも励みになっている このムラゴン?ブログを始めたのもいい刺激になっている


無声映画をまだ観る気にならない

今日は映画を観ていない
YouTubeで古い日本映画を探して観ているが
アップされた映画はほとんど観たのか
まだ観ていない映画が昨日あたりから見つからなくなった
それまでは検索ワードを色々変えてどうにか観ていない映画が見つかった
映画を観ているとたいがい他の作業をしながらなんだけど
映画に集中するか他の作業に集中するか どちらかがおろそかになるのは仕方がない
それでも「ながら族」の習性で何かしながら出ないとどうもいけない
今日は見る映画が無かったこともあって書くことに集中する日になった
ついでにひとこと言えば
再開「mixi日記」~1万字にチャレンジ
というタイトルでnoteを毎日アップしている
コメントや日記を書いたものをまとめて総計の文字数を出している
このところはなかなか1万字達成できないでいるが
古い日本映画を観るよになって書くことがどうしてもおろそかになった結果だ
1万字とはそう簡単に書けるものではない
このところ3千字も達しないことも多い それでも1万字へのチャレンジは続けたい
そこで映画の話に戻るがまだ古い日本映画が出てくるとは思うが 
観ていない映画があるにはある 無声映画なんだけど小津の作品も多い
でもまだ観る気になれない 小津映画ファンなら本当の映画好きなら
無声映画でも見るのだろうけど私はどうも苦手 それと戦争もの
それから1960年以降の映画はほとんど観ない 戦後は60年代までで戦前の方がいい
という感じで古い映画を観てきた 有料ならばまだ数多くあるのだろうが
無料にこだわっていることもある 映画を観ないと寂しいが
今日のようにたまには書くことに集中するのもいかもしれない
ちなみに今日これまでに書いた文字数を確認してみよう
集中したといってもそうは書けていない 予想では5千字書けていればいいか
ちょっと確認・・・ここまで書いたのを入れても5288文字 いい勘してましたね
自慢になりません 目標は1万字なのにね
そこそこ今日は集中して書けたつもりなんだけど
また明日 キーワードを工夫して古い邦画を探してみよう
いよいよ見つからなかったら無声映画を観みようか 苦手だけど発見があるかもしれない
誤字脱字あり 御免なさい

言葉落穂ひろい

古典・詩歌鑑賞(ときどき京都のことも)

二日つとめて二日遊び、三日つとめて三日遊ぶ。和歌俳句漢詩を好み、言葉遊びを楽しむおじさんの「一日一話」…ほととんぼのブログ


2011年9月 8日 (木曜日)

(その12)どうして「なでしこ」ジャパンなの?

「またなでしこは、「撫でし子」=「なでるようにかわいい子」=「愛らしい女性」、に通じ、そこから日本女性を意味する象徴的な「大和撫子(やまとなでしこ)」という言葉が生まれたようです。」

大和撫子(やまとなでしこ)は花の名で
美しい女性を例えていうところから
「なでしこ」ジャパンと呼ばれているとは思っていましたが
「撫でし子」=「なでるようにかわいい子」=「愛らしい女性」
「撫でし子」が「大和撫子」の由来となる
「なでなで」という言葉は「撫でる」から来るのでしょうが
「撫でる」の語源は?

Wiktionaryより引用

古典日本語

動詞

なづ【撫づ】


撫なでる。

かわいがる。慈いつくしむ。

活用

ダ行下二段活用

な-づ

発音(連体形)

三拍動詞二類


平安時代

などぅ↗る

南北朝時代

な↘どぅ↗る

室町時代以降

な↘ずる

諸言語への影響

現代日本語: なでる

「なづ」から「なでる」への時代を経ての変化が面白い
少なくとも室町時代以降はまだ「なずる」
さて万葉集にすでに「なでしこ」として詠われていることから
「なでしこ」という花の名としてあったということは
「なづ」という古典古語と「撫でる」の関連は?
「なづ」が変化して少なくとも室町時代より以降のある時代から
現代日本語として「撫でる」となったという説はどうなるのか
「なでしこ」という花の名は古くからあった
それに「撫でし子」をあてたということになりはしないか
「撫でる」という言葉はずっとあとになるのだから
「やまとなでしこは、日本人女性を指す昔の呼称。」wikiより
としても「撫でし子」と語意が通じるからとするなら
すでに歌で詠まれた万葉の時代 「撫でる」という言葉があったことになると思うが
だから「なづ」からの変化という説明は何だろうという気がする
何ら問題ない事をあえて問題にしているようにも思うが
まったく無知な私故 どこでどう誤ったかもわからない
いい頭の体操をしたということでよかったよかったとしておこう
例によって再読せぬまま投稿
故に誤字脱字ありでしつれいします

なぜ気になるのだろう~goo blog「日々の細道」

コメント記録~40

日々の細道

手持ちの回数券が一枚また一枚、残り少なくなっていく老いの日々、どう生きていくか?


  桃の花満開その2ー黄砂襲来 2007年04月02日

「季節の風物詩といって傍観しているわけにはいかない。いよいよ、飲水にプラスして空気まで、呼吸することまで、心配せねばならぬのか?。人間様もだが、樹木など植物への影響も心配だ。」

植物などのへの影響を心配しておられるところなど
ブログ主の庭木や植木鉢への思いが伝わってきた
これは庭木や植木の手入れをしている人ならではの思いだろう
私などとんとそんなことに縁のない生活を続けているので
黄砂で思い至るのは車が汚れることぐらいだろう
もう仕事もリタイアし車もとっくの昔に処分している
出不精なので外に出ることもほ飛んでない
だから黄砂のことなど気にすることもないが
その昔 30代のころはタクシン―の運転手をしていた時期
春先になると花粉症で目は痒くなる鼻水は出るで苦しんだことを思い出す
花粉症が騒がれ出したころで 風が長引いてるのかなという最初のころは認識だった
マスク対策が有効なのだろうが 私はマスクが嫌いと来ている
だからどんな症状がひどくてもマスクは着用?装着?しない
この辺が私の偏屈なところなのだが美的感覚を優先する
まあ何が美的感覚を優先だと私の体形を見たら思われることだろうが
外見はともかく意識の中での美的感覚からすればマスクはノーなのだ
断じて妥協することなくノ―
他に同じようなことが何かあるか思い出そうとしているが
ゆっくり考えればいくつも思い出すだろうが たとえば
腕時計もノー 時間は関係ない 束縛されたくないという思いからだ
では待ち合わせはどうするかと言えば まあ少し前には着いているようにする
時間は今ならスマホで確認できるし スマホが無くてもあちこちに時計はある
いよいよなければ人に聞けばいいというぐらいに思っている
時計必要ですかと聞きたいくらい 邪魔になりませんかと
高級時計をするのが男のステイタスなんて そんな野暮なことおっしゃいますか
価値観の違いと言えばそれまで 人は人私は私ですから人のことはどうでもいいのですが
それから・・・・男ならこれから冬になるとズボンの下に何かはきますね
いわゆるズボン下とかいうやつ あれもだめなんですね私の美的感覚からすれば
寒いから着用するかたはどうそどうそ 私は寒くても着用しませんこれからも
さすがにもう年ですから格好はかまわなくなりましたよ かなりね
でも年取ってもダメなものはダメ いやなものは嫌
どうでもよくなったこともあるにはあります
外出の時一も帽子をかぶっていました 帽子好きなのと頭髪の薄さを隠すため
帽子を長いことかぶってきたからかぶらないと頭が寂しい物足りない
そして冬などはことに風が冷たいと帽子なしでの外出はつらい
ところがこの件に関してはどうでもよくなりました
面倒になったというおもいでしょうか こだわらなくなりました
若干の変化ですね だからこれから絶対変わらないとは言いません 言えません
しかしまだこだわりはありますからね美的感覚のね
黄砂の話からマスクの話になり 私の美的感覚の話に飛んじゃいました
例によって読み返すと書いたことが嫌になって投稿止めるかもしれないので
読み返さずにこのまま投稿 故に誤字脱字蟻のごめんなさい
漢字変換ではありが蟻になってましたね いい例だからそのまま投稿
いつもコメント欄にお邪魔し失礼しました